年齢意識

 

 

つい先日年齢が成人を迎えました

 

来るぞ来るぞと身構えていたわけではなかったので

コロッと二十歳になりました

 

実感のじの字もない感じですね

 

小さい頃は

年を重ねる=誕生日プレゼントで好きなものを買ってもらえる

みたいなわくわくが存在したから

早く早くとそわそわしたものの

 

やはりこの年になると小さい頃に欲しかったゲームのソフトだなんて

値段的な意味で自力で買えますからね・・・

 

それより高価なものをねだるのはさすがに

違う

 

まぁ形はともあれ

小さい頃は年を重ねるとプレゼントを買ってもらえるというイベントがあったから

実感というか意識はあった

 

しかし

二十歳という年の境目だと少し

意識の持ちようが違ったかもしれない

 

近しい年齢で意識をするような境目と言えば

「18歳」

男性の場合はこの年齢にまず憧れを抱くのではないだろうか

 

この年齢を問われたときに

何度偽って「はい」のボタンをクリックしたことか

それがなんの罪になるかなんてわかりもせず

自分の欲望のまま

 

それを堂々と「はい」と押せる

いや、むしろのれんすらくぐれる

(※実際には高校生という身分だけではじかれることはある)

大人への一歩

まさにその言葉が最適でした

好奇心と探求心を豊かに抱えた当時の自分には

無くてはならない肩書きだったと豪語できるでしょう

 

今少し考えてみただけども

これだけの熱弁を放つことができるのだから

この年が一番印象深かったかもしれない

 

その点二十歳ときたらどうだ

 

「飲酒と喫煙」

 

大人というフレーズには切っても切れない存在だろう

前者なんか大学生のパーティピィーポーが大好物なものという勝手なレッテルすら抱いている

自分は前者は興味があるが

後者はいいイメージはない

 

こんなことを言うくらいだから

きっとまだ子供な思考なんだ

 

体に毒だとか金の無駄とか

そんなきれいな幻想を見ている

自覚はあるが無理して足を突っ込む気もない

 

為せば成る

 

流れに任せよう

 

あー

スミノフうまい